ドラマ感想:Followes

TOKYOというよりSHIBUYA 正直に言うと退屈な場面が多く自分には合わなかったドラマ

インスタ映え社会においてコネ的に依存しあっている人々を現在のSHIBUYAの記号的シチュエーションを交えながら古い価値観で描いている。

全編を通して蜷川実花の作るビジュアル、かっこいい女性像など蜷川実花の作った映像を見ていると言うことははっきりしていた。

出演している俳優、使用されている音楽含め、日本のどこかにあるかもしれないコミュニティーで完結している。 正直、この人が出てくるかー、ここでこの曲かーと自分のツボ的な物は押された気がする。 多分、このツボを楽しめる人には楽しめると思う

自分とはかけ離れた文化、かけ離れた理想、かけ離れた価値観の連続で一つの村社会を見ている気になった。このドラマで写したかったのは現代的な思想なのか、村社会での人生観なのかを混同しているように感じる。現代的な思想を描くのであれば正直危険なまでの男性の去勢だと思う。村社会での人生観だとするなら楽観的すぎる。映像として映るモノが記号的な現代感なだけで、男女の関係としては古い価値観を性別を逆転してリバイバルさせようとしている。

それぞれのキャラクター立ちには約束された成功が向かってきているように感じた。結果的に全てうまくいく。各世代のキャラクター達のキャリア場での役割、学び、育て、見守ると言う役割を放棄し、いつまでも自分が主役でありたいと言う欲求は傲慢とも言える。それぞれが自分の役割に満足した時に周りには時自分を支援してくれる異性が半自動的に存在する。

日本の映画好きキャラがやりがちなタランティーノ崇拝が出ると、ちょっとなーと思ってしまう。しかもそれが話の軸になる場面まである。タランティーノ以降の脚本はクソとか言ってる映像作家の短編がタランティーノの目に留まるかね?正直、映画好きで、女優をやりたいと言うキャラクターをチープにしてしまう場面だと思う。正直、タランティーノの中でもキルビルパルプフィクションしか見てないんじゃないか?映画好きキャラでタランティーノ崇拝は少し浅はかに感じた。世界的に公開されているドラマなだけあってちょっと恥ずかしい。

今回のドラマに出てくるSNSが雑魚すぎる。SNSに疎い自分はこんなにも簡単にバズルものなのかびっくりする。多分、今再生数を稼いでいるYouTuberの方は相当な努力の上に成り立っているのだと思う。そんな人たちがいる中で、有名な写真家に投稿された、おすすめされただけであんなにも話題になるのだろうか。結局自分の評価は有名なインフルエンサーとの人脈と贔屓がなければ証明できないと言うこのなのか。全体的に流れる、有名な人たちの目に留まることが成功の条件であるにもかかわらず、そのための努力がDMを送るくらいのことしかせず、元々贔屓されていたとしか見えない。

途中メッセアプリ上の悪口がきっかけで干される描写があるが、なんでやり返さないんですかね? モデルってあんな悪口しか言わないんですかね?元々の会話が言い逃れできないこと書いているのになんで一人だけ干されるんですかね?会話の文脈がもっと言い逃れできるレベルの水面下の戦いをした上で慣れない新人が書いてしまっただけなら分かるが。。。

このドラマで描かれる女性観、男性観にも違和感があった。このドラマに出てくる男性は無条件で女性を支援する人間しか受け付けていない。仕事をする女性、それをサポートする男性。これまでの男女の価値観が逆転した世界の話なのだろう。その価値観が現代的なのかどうかは置いといて、普通にこのドラマの登場人物の性別を逆転させたら、えらい古い価値観に映るだろう。

途中に登場する隣人の数学者の結末は酷い。なぜあそこまで仲良くなるまでにそう言う価値観の違いを話さなかったのだろか。単純にコミュニケーション不足。

結局何を写したいのかわからなかった。

音楽的には2000年代の渋谷系でまとめている。選曲的にはspotifyのプレイリストを流しているようだった。個人的にはモロに渋谷っぽい世界観は性に合わないので、その世界観で好きな曲が流れるのは嬉しい反面、流して欲しくない気持ちがある。あと、今のTOKYO(と言うかSHIBUYA)を映すドラマにしては音楽の世代感が古いかなと感じた。